“生きる”ことは、
自分オンリーで完結する出来事ではない。
 
そこには必ず他者を含む世界が存在する。

 
 
だから、
関わる他人、足着く地面、
その空間まるごと含めての[生きる]
ということになる。
 
 
 
そんな中で、
各人が自己の利と欲望を
最大限に突き詰めて行った先に待つのは
地球規模での破滅しかない。
 
 
 
各人が幸福追求権を行使すると、
ものの見事に地球はぶっ壊れる。
だからと言って、
愚行権を認めない国はファシズム化する。
 
 
元々、”過剰なヒューマニズム”を根底に持つ
マルクス主義を煮詰めると、
強制収容所が乱立する不可思議。
 
 
内在的論理を
[自分オンリー/自分良ければ全て良し]
に規定すると、
新自由主義の渦の中で溺れ死ぬ。
 
 
 
世界は難しい。
 
 
 
 
 
戦前の”修身”や生きる為の”教養”、
古典的叡智“足るを知る”意識は
もうこの世にはほとんど存在しない。
 
 
 
 
欲望は果てしない。
 
それはそれで良い。
 
 
 
 
 
 
に、、、人間だもの(照)
 
 
 
 
でも、
その欲望に突き動かされ、
人を人とも思わない態度で相手に接することは
その関係性に自ら絡みとられ続ける。
 
ことになる。
 
 
 
 
自分が世界に対して、
どのような態度で接するかによって、
関係の様相は変わる。
 
 
木も森も小鳥も人間も
この世界を構成する他者である。
 
自己理解を深めた上での
他者との対話。
 
 
そこで自ら発する根源語の選択こそが
全てを決める。
 
 
 
目指せ!
骨の髄までマルティン・ブーバー化